コンサルティング事例
「人と組織の生きざまを預かる」その強い言葉を具現化するべく、伴走して支援してくれた。
JFEスチール株式会社 柴田様・上野様
JFEスチール株式会社
東日本製鉄所 労働人事部部長 柴田卓 様(左)
東日本製鉄所 千葉労働人事室 室長 上野正之 様(右)
JFEスチール株式会社
JFEスチールは高炉を所有し、鉄鉱石を原料に最終製品の生産までを一貫して行う鉄鋼メーカー(高炉メーカー)です。世界トップクラスの鉄鋼生産規模を持ち、「常に世界最高の技術をもって社会に貢献します」という企業理念のもと、お客様や社会のニーズに応える鉄鋼製品をグローバルに提供しています。また、最先端の環境調和型製鉄プロセスの構築や、高機能鋼材の開発を通じて、製造工程はもとより製品においても環境負荷の低減に貢献しています。
まず、お二人のご経歴を教えてください
柴田:当社は2003年に川崎製鉄と日本鋼管が経営統合した会社です。私は川崎製鉄の水島製鉄所(倉敷市)に入社し、本社やグループ会社へ出向も経験してきました。担当してきた部署は組織人事部や労働人事部で、入社以来人事畑を歩んできました。その途中で、会社の統合を経験しました。現在は東日本製鉄所の労働人事部長として4年になります。
ちなみに、多くの企業では人事部や人事課といった名称が一般的で、「労働人事部」は珍しいでしょう。これは製鉄業界で労働組合との争議の歴史があったことが背景となっており、製鉄会社や一部のメーカーなど、ごくわずかな所でしか使われていない名称だと思います。
上野:私は新卒で千葉労働事務室に配属されました。ちょうど入社10年目の年に労働組合の役員となり、縁あって労働組合の連合と外務省の官民交流(連合アタッシェ制度)で2011年から3年間アメリカの日本大使館で外交官として勤務しました。会社に戻ってからは本社労働組合の副委員長を務めながら広報室で社内広報を担当し、その後2017年に東日本製鉄所千葉労働人事室に異動しました。労働組合や外務省での経験は自分の視野を広げてくれましたし、本社広報としての経験からは会社と社員を繋ぐことの大切さを学ぶことができ、今の自分の土台となっています。
バインディング・アプローチを導入したきっかけを教えてください。
柴田:そもそも、私と上野はそれぞれ別の観点で悩みを抱えていました。
私が自分の働く組織である労働人事部の課題だと考えていたのは、自分たちの仕事のありようです。伝統的な「管理型の人事」というやり方をしていたので、会社の成長サイクルのフェーズと合っているとはいえず、「このままだと人事部門は生き残っていけないのではないか」と、存続に関する恐れがありました。しかし、何かをしなくてはいけない、変えなくてはいけないと思っていたものの、具体的な手段を打っておりませんでした。
また、製鉄所内には、退職者が続出し、組織として大変厳しい状況にある部署もあり、そこへの対応も急がれていました。
上野:私が2017年に広報から労働人事部に異動した際には、社会的に“働き方改革”の流れが本格化していました。
当社でも社長がその旗を振っておられましたし、人事からも「定時退社日の設定」「年休取得促進」「育児休業取得促進」「インターバルの設定」などの施策を打ち出し、併せて外部の講師を招いてタイムマネジメント研修を行うなど、働き方改革に向けて、積極的に働きかけていました。変化は徐々に表れましたが、一方で、中には「どうせ変わらないよ」という冷めた社員の反応や態度があったのも事実で、「なぜ働き方を変えようというリーダーの声が届かないんだ…?」と
モヤモヤとした気持ちでいました。
柴田:当時、上野は多摩大学大学院に入学してMBA取得に励んでいて、荻阪さんとはそこでのご縁なんだよな。
上野:はい。大学院のパンフレットに客員教授である荻阪さんの著書『リーダーの言葉が届かない10の理由』が紹介されており、
手に取って読んでみたのです。すぐに「これは、今の悩みを解決する鍵になる」と感じ、私が直面している「働き方改革の課題」と、「社内浸透の課題」を荻阪さんに相談すべく、チェンジ・アーティスト社へメールをお送りしました。
まずは私一人でオフィスを訪問し、荻阪さんとお話させていただいたところ、「上野さん、私の上梓した『社員参謀!』を読んでみてください」と言われました。読んでみると、主人公の企業が2社の合併から成り立っていること、主人公が海外(米国・ワシントン)転勤から本社に戻ってきたこと、組織を改革したいと思っていることなど、当社や自身との共通点が複数あったことに驚くと同時に、私が実際にやりたかったことが既に小説としてそこにあったのです。これには偶然でない何かを感じましたね。
労働人事部でそれを実践したいと考え、互いに「組織を変えるためにはどうしたらいいか?」と意見を交換していた柴田に「新しい組織開発のプロジェクトをやってみませんか?」と提案しました。
柴田:月刊『人事マネジメント』という専門誌に、荻阪さんの連載執筆された『日本型「人材開発」進化論』という論稿があり上野に紹介されて、私も読んでみました。そこに“人事が「社員参謀」になって、現場へ入り込んで会社を動かしていく”といった進化する姿が書かれてあり、これこそ私の考える人事の変革イメージだと感じました。そして私、上野、そして部内の3名で、荻阪さんと御会いさせて頂きました。
上野:書籍を読んで勉強になったものの、自分達には実践のためのノウハウがありません。そこで、柴田と私が「起点」となり、荻阪さんを組織開発参謀として招聘し、働く文化を変えるプロジェクトを立ち上げて、実践を一緒に手伝っていただくことにしました。2018年春のことです。 プロジェクトの初期の頃に荻阪さんから「上野さんは本当にこの問題を解決したいと思っていますか?」と何度か問われたときはハッとしましたね。もちろんそのつもりだったのですが、そこで「これは、真剣勝負なのだ」と覚悟が定まりました。
柴田:私自身が組織人事部で係長の仕事をしていた時代、トップと非常に近い場所にいました。トップは公にできない思いをいくつも抱えていたりしますし、トップ同士でもなかなか腹を割った話ができない。
そういったとき、私がトップから聞いたことをインフォーマルな話として「こういうことを期待されていると思いますよ」「こういうのを求めているんじゃないですか」と現場へ間接的に伝えてあげると、相手もすんなりと理解できます。そういった“促す役割”を経験していたからこそ、荻阪さんの提唱しているトップダウンの力とボトムアップの力を結束させる“バインディング・アプローチ”の実践手法がすっと入ってきて、「この仕事のやり方は必要だ」との確信につながりました。
プロジェクト導入前の組織の状況(before)はどのようなものでしたか。
柴田:プロジェクトは当初、我々労働人事部と、機械的な保全メンテナンスを担当する所属Aにおいて、組織開発を実行しました。将来的には会社全体に働きかけていかなければならないと思っていましたが、まずは2部署でのスモールスタートがいいだろうと考えたのです。小さく生んで大きく育てるアプローチです。
所属Aに関しては、環境的に設備劣化が顕著になっている状況がありました。その操業管理担当と保全担当のコミュニケーション不足などで人的ミスによる故障が目立っており、上司はトップダウン中心で仕事をさせ、部下は言われたことをやっているというスタンスで、相互に安心して物が言えて聞ける風土もなく、ストレスチェックの結果は厳しいものがありました。そして社員が辞めていく…といった悪循環に陥っており、未来が見えにくい状況で多くの課題を抱えていました。
上野:労働人事部に関しては、伝統的な管理型の人事スタイルであったことに加え、現場の個別な問題は基本的に現場で最後は解決してもらうという前提のようなものがありました。だから、我々が現場に行って一緒に汗をかきながら問題を解決していくという発想があまりなかったんです。荻阪さんから「室長の上野さん自らが現場に足を運び、小説『社員参謀!』を手渡しするといいですね」と促されましたが、製鉄所は広大で事務所が点在しているのですが、いざ行こうとすると、渡す相手が具体的に日々どこで勤務しているのかわからないことに気が付きました。現場と自分の距離の遠さに驚きましたね。「私も、人事も、自らが変わらなければいけないというのは、まさにこのことだ」と感じた瞬間でした。作業長やリーダーなど一人ひとりに新しい組織開発の実践イメージを持ってもらうため「この本を読んでください」と手渡すところからスタートして、自分も含め部も一歩一歩進んでいきました。
プロジェクトの実践内容とその過程を教えてください。
柴田:まずは所属Aの管理職を中心としたリーダー達に本を読んでもらった後に、一人ひとりと荻阪さんとで、個別コンサルを通して、対話をしていただきました。その場にも上野が参加するなど、とにかく我々労働人事部が現場に行き、対話する機会を設けました。また、荻阪さんには、リーダー達への講演会や、現場で組織開発のインキュベーションなどをやっていただきました。こうした荻阪さんの取り組みを参考にしながら、製鉄所全体に働きかける人事の自発的な取り組みとして、作業長の同士の集まりや、その上の人の集まりなど様々なフェーズでインフォーマルな場をつくって、組織開発の話をしたり、真面目な話を気楽にする会、通称“まじきら”を開催したり、積極的にコミュニケーションをとる「場づくり」を同時に行っていきました。将来に向けた変化への土壌づくりですね。作業長会での「まじきら」は、名を具現化するかのごとく、真面目な悩みや本音が飛び交い、冗談を言いあう雰囲気もあって活性化してきたと感じました。
上野:何事も実践のビジョンが大切になります。とはいえ、そのビジョンはメンバーがしっかりと関与し、皆がフォーマルな仕事を通して自分事だと思えるビジョンでないといけないというのが荻阪さんの考えであり、「実践のビジョン」を策定することがバインディング・アプローチのポイントのひとつです。同時に、これもバインディング・アプローチのひとつである「やらない戦略」も立てました。そしてA室と労働人事部では、半年後にその部署の「実践のビジョン」と「やらない戦略」が完成し、名刺サイズの「バインディング・カード」を策定して、仕事の判断基準にするため、一人ひとりに配布しました。
柴田:A室の実践ビジョンもやらない戦略も、一朝一夕で決まったわけではありません。室長、統括、作業長で決めた叩き台のビジョンがあったのですが、「これは現場目線ではない」という考えを語り、ひっくり返したのは現場の若手リーダーでした。そして、『「不信ある職場」から「信頼しあう組織」へ、自分達の「将来」を本気で語り合うチームへ変わろう』というビジョンが生まれたのです。これはものすごく強いメッセージですよね。
上野:私が現場のキーマンだと思っていた方々が、荻阪さんとの複数回にわたる個別コンサルを通して「自分が変わる必要があったのだ、と、自然に気づくことができた」と言ってくれました。その気持ちは次第にA室内全体に拡散し、多くの人が「自分が変わらなければ」と思ってくださるようになりました。草の根リーダーシップの連鎖と言いますが、上司が変わり、その上司を見た部下の行動が変わっていったのです。
柴田:自分の伝えていることが下の人にはなかなか伝わらない。なぜ伝わらないか?を考えていくと、自分が変わらないといけないのだ、という自身の問題にたどり着きます。A室の方もそこに気づいて下さり、部下と積極的に対話する姿に私たちも感銘を受けましたね。もちろん、一人が変わったところで組織が劇的に変わるわけではありません。周囲の人も「文句を言っているだけではダメだ、自分たちも変わらなければいけない」と気づいてくれ、A室としてのビジョンの他にもグループのビジョンを作ったり、リーダー同士が自立的に話し合ってグループ間で「助け合うルール」を作ったのです。それを、業務を判断する決め方の基準にしたことで、ここから縦のラインと横のグループ間で、劇的に変化していきました。
変革後の姿(after)はどのようなものでしたか。
柴田:A室では、上司と部下、そしてリーダー同士がそれぞれの課題や悩みを包み隠さず話し合い、助け合う姿が多く見られるようになりました。今まで個別具体的に指示していたところを、「あなたはどう思いますか?」「みんなで実行方法を考えましょう」と、現場当事者の智恵を優先しながら進め、一人ひとりを信頼しながら考える力を伸ばす方法へと変化しました。
2019年の台風15号は千葉県に大きな被害をもたらし、製鉄所も冠水などで複数の設備で影響を受けました。しかし、A室ではグループの垣根を越えて助け合い、協力して復旧を行うことで、結果、被害を最小限に抑えることができました。
上野:弊社では部門別に操業成績や保全成績を付けているのですが、A室が担当する主要設備の保全起因のトラブルが長期間 《0件》となるなど、目に見える結果も出始めました。これは素晴らしいことです。結果が出始めると、さらに変革は加速していきました。職場の雰囲気も明るくなり、改革の中心を担ってくださった現場の統括から「上野さん、組織開発をやって本当によかったよ」と笑顔で声をかけてもらい、これは大変嬉しかったですね。
柴田:労働人事部も同じです。それぞれが変わる工夫をしました。私も、上野も、メンバーもそうです。それまでは上司を見ながら仕事をして、「上司には意見を言いにくい」という職場の雰囲気や個々の思い込みがあったものから、「自分の言葉で伝えていいのだ」「見るべきものは上司ではなく現場なのだ」という発想へ変わり、まさに、ビジョンで掲げる「社員の挑戦を支える人事」へと、劇的に変化したのです。
また、それまでは昼休みでも自分のデスクで仕事をしながら弁当を食べる人が多く、会話も少なかったのですが、会議室を一部変更して丸いテーブルを導入したことで、みんなで集まって談笑しながら食べることが増え、職場の雰囲気も大きく変わりましたね。
上野:私達自身のマネジメントのやり方も変わり、今までは上司が部下に「この仕事をやってください」と与える形でしたが、今は「この仕事やりたい人いますか?」と問いかけ、自発的にやってもらうことも増えてきました。私たちは、これを「チャレンジラボ」と呼んでいます。他部署から来た人はこのやり方にびっくりしますね。
また、現場の人が人事に足を運んでくれるようになり、ごく自然に事務所内に入ってきて話ができるようになりました。
柴田:こうした現場と人事の変化が、製鉄所のトップ(専務)、役員も動かしました。実際にA室の様子を見てもらい、「この変化は素晴らしい、自分たちもやってみよう」という流れになったのです。今は役員と部長のトップリーダー10名を中心として、新しい東日本製鉄所の「未来ビジョンストーリー」を完成させるフェーズに至っています。
上野:東日本製鉄所の働く文化を変える(新しい組織開発)プロジェクトは大きく実り、まさに開花しようとしています。その過程において多くの人が素晴らしい変化を遂げています。この2年間の変化は本当に大きなものでした。
もちろん、ここまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。個人の葛藤もありましたし、人同士の対立もありました。また、それに向き合っていくことはたやすいことではありません。私自身も部下に厳しい指摘をされましたし、自分の至らない部分と直面し、悔しい思いをしたのも一度や二度ではありません。しかし、そうして自分自身と対話しながら、まだまだ充分とはいえませんが、成長できたのではないかと感じます。
組織開発は人の変化の掛け算です。組織を構成する人が変わっていかなくては変化が起きない。「組織の最小単位=個人」が、仕事を通して、行動を変えることによって、組織が、そしてカルチャーが変わっていく。その体験の連続でした。
チェンジ・アーティスト、荻阪さんの支援の強みはどこでしたか。
上野:荻阪さんがご自身の言葉で語り、動いて、結果につなげてくださるところですかね。後出しジャンケンではなく、シナリオの「実践イメージ」と「押えるべきツボ」を事前に示し、必ずこうなると伝えてくれて、時に叱咤激励をしてくれながら、一緒に進めてくれました。
また、人の本質的な部分を本当によく見られていると感じます。「人と組織の、生きざまを預かる」と荻阪さんはよくおっしゃります。
組織開発はそんな生易しいことではない。人と組織の生きざまをお預かりするのが、新しい組織開発だということを、身をもって教えてくれましたね。
柴田:コンサルタントの中には、企業の改善点を洗い出すだけだったり、プランを提案してそのままという方も少なくありません。責任問題が生じるからだと思うのですが、これまでお会いした方は深入りしてこない印象でした。しかし、荻阪さんは「ここまで入り込んでくれるんだ」と驚くほど我々と関わってくれ、やんわりと促すのではなく、「それはいい」「それはうまくいかない」と、傍でハッキリと言ってくれます。
また、トップに対しても本音を押し出すようなアプローチをしてくれたり、「それは言ってもらった方がいい」「それは私からさりげなく伝えていきましょう」などと、状況に応じて対応してくださるのは心強かったです。
荻阪さん自身、仕事に関して腹が据わっているのと同時に、先見の明があるからこそ、会社や業界に対する危機意識が私らよりはるかに強いと感じました。
上野:役員のエグゼクティブコーチングをやりつつ、新入社員も含めた部員に対するアプローチもしてくれる、そんなコンサルタントはまずいないと思います。
組織開発を始めて1年目の時に、荻阪さんから「今やっていてどう思いますか」と問われ、「私がもっと一生懸命旗を振ってやらなくてはいけないと思っています」とお伝えすると、荻阪さんに「それでは、外しますね。上野さんが自分で旗を持とうと思ったらこのプロジェクトは終わりますよ」と指摘されました。「え?」と聞き返したところ、「今やるべきことは、現場や部下を主役にして、仲間を作ることです」と、ズバッと言われ、ハッとしましたね。実際、その時はなかなかうまくいかない時期で、正直、孤独でした。しかし、荻阪さんが常に人と組織を見てくれ、必要な時に必要な人に必要な言葉をかけながら、常に伴走して支援してくれました。ロジックもあるし過去の経験もあり、実践知をくれる。荻阪さんはそういう組織開発の参謀です。ものすごく心強かった。
柴田:話を聞く力もあるしタイミングも絶妙。独自のコンサルティング手法を取り入れられているのだと思うのですが、それだけにとどまらず、促すべきタイミングで肩を押してくれるというか、その状況判断や言葉の選び方なども秀逸だと感じました。余談ですが、荻阪さんは青色のスーツ、カバン、革靴と、全身青色が正装なんです。おしゃれですよね。我々の中では「青いおじさん」と呼ぶこともありました(笑)。こういったところにも信念が表れているのでしょうね。
今後の展望と道標をお聞かせください。
柴田:今はトップリーダー10人が集まり東日本製鉄所の「未来ビジョンストーリー」を決めて、完成を目指している真っ最中です。私達人事は、案を決める場づくりに「社員参謀」として関わっています。製鉄所(千葉地区)全ての社員である約3000人を300人単位程に分けながら、製鉄所トップ(専務)が社員に直接話をする対話の場を複数回設けました。最終的には、未来ビジョンは「ビジョンを語る会」や「考える会」を開催して多くの社員に参画してもらい、リアルな声や提案を反映して、衆智を集めながらビジョン策定を行っていきます。
上野:これから、柴田と私は本社へ異動することになったのですが、 私達が移動しても変革は、継続します。例えば、労働人事部にも【組織開発グループ】が新たに発足できました。これは、新しい組織開発の実践を、人事部の仕事へ変えた《成果》でもあります。今、業界としての状況は厳しいかもしれません。しかし、だからこそ「どこに向かっていくのか」という方向性がなければいけませんし、それがあることによって希望が生まれます。その道筋を照らすのが、「未来ビジョンストーリー」であり、その実践手法が、バインディング・アプローチです。新しい組織開発のプロジェクトは、3年目に入ります。私達、組織開発の内部実践者が、働く文化を変えていく働きかけを続けていきながら、荻阪さんには引き続き、外部の「組織開発参謀」として助言・アドバイスや、実践の知恵を頂けたらと思います。